シリーズ「Nouvelle Artisan」③

ソムリエの価値と可能性を高めたい

成澤亨太
(Restaurant TOYO 統括支配人兼エグゼクティブソムリエ)

フランス語で「職人」を意味する「artisan」と、芸術家を意味する「artiste」とよばれる存在は、1793年と1806年の法律で身分が定義されて以来、フランスでは分けて考えられるようになった。

しかし、中世で両者は「arts(技術)」をもつ技術者として同様に扱われており、階級社会が崩れた現代では、職人のなかにも芸術性が存在することが主張されるようになった。

本来「技術者」を意味するArtisanの姿は、時代に合わせて変っていくとしたら、現代はどんな姿なのか。

Restaurant TOYO(以下、TOYO)で活躍するアルチザンたちの話から、新しい職人(Nouvelle Artisan)の姿を浮かび上がらせようとするシリーズの第3回は、統括支配人兼エグゼクティブソムリエの成澤亨太に話を聞く。

フランス料理のチーム感に受けた強烈なインパクト

「銀座のフランス料理店『ロオジエ』で衝撃を受けて、『これはフレンチにいくしかない』とすぐに思ったんです」

成澤亨太が30代前半だった頃のロオジエは、2007年11月に日本初上陸したフランスのレストランガイド『ミシュラン・ガイド』日本版で三つ星を獲得し続けるフレンチの名店だった(もちろん現在も)。銀座のイタリアンレストランでソムリエをしていた成澤は、じつはフランス料理を食べる機会は少なく、グランメゾンのサービスを体験するのもこの時が初めて。しかしこの日のロオジエでの食事がきっかけで、フレンチに“宗旨替え”することになる。

「イタリアンとはまったく違うと感じました。スタッフが同じ制服を着ていて、ネクタイまで揃えている。付かず離れずのサービスで、所作が美しい。なかでも印象的だったのは、隣の6名席に、クロッシュをかぶせた皿をサービス6人で1皿ずつ運び、一斉にあけた瞬間でした。きれいに盛り付けられた料理があらわれるその瞬間は、『すごい』としかいいようがなかったです」

フレンチに行くしかない。そう感じた成澤は、勤めていたイタリアン・レストランを退職し、銀座のフランス料理店「ロドラント ミノルナキジン」のマネージャーに就任する。

そう書くと、すんなり転職したようにもみえるが、実際はそんなに簡単な話ではなかった。人より遅い25歳でレストランのサービスマンになった成澤には、イタリアンでの勤務経験しかなく、フランス料理店で働いたことはなかった。もちろん支配人やマネージャーの経験もない。フランス語が飛び交うレストランで働くなど「無謀」といわれても仕方がないことだったからだ。

「同世代のサービスマンたちがマネージャーになっていく姿を見て、スタートが遅かった自分が彼らを追い越していくには、退路を断って挑まないといけないと思ったんです。支配人の経験もないのに『できます』と自信満々に言い切って採用をしてもらいました(笑)」

ロドラントのオーナーシェフ、今帰仁実氏は、銀座の名門「レカン」の出身で、その後渡仏して星付きレストランでも勤務した経験をもつシェフ。さらにマダム(妻)の副島綾子氏もタイユバン・ロブション(現・シャトーレストラン ジョエル・ロブション)の元スタッフ。フランス料理の本質を知る2人のプロフェッショナルに厳しく鍛えられたという。

「出勤のため新橋駅からお店があった銀座七丁目まで歩いていたある日、自分は気づいていないのですが、シェフが後ろを歩いていたんです。追いついて声をかけられるわけでもなく、店まで離れたまま。そして店に着いたら、自分の歩き方をシェフに注意されたんです。『マネージャーとしての意識がない、銀座に入ったら時点で、レストランのマネージャーとしての所作をしないといけない』ということを教えてくださったのです」

33歳から3年半。「ものすごく辛い日々ではありましたが、ときには『どうしたら星を獲れる店になれるか』ということを今帰仁シェフと朝まで真剣に意見を交換するような時間もありました。その時間は、かけがえのないもので、同じ目標を目指すスタッフとして育ててもらいました」と成澤は振り返る。「決して後悔はしていないですね。フランス料理の哲学、サーヴィスマンとしての根幹と礼節、人と人との大切さといった今の自分にあるものすべては、今帰仁シェフの元で学ばせてもらったと思っています。本当に感謝です」という言葉に一切のよどみはない。

ロドラントに入社2年目の頃。「このスーツは、今帰仁シェフが見立てて買ってくださったんです。うれしかったですよ」。

「『私生活や、営業以外での所作や考え方、言葉遣い、距離感などは、自然とお客様の前で出てしまうもの。一流のサービスマンは、日々の生活のなかから積み上げていくもの』ということをつねに今帰仁シェフに言われていました。それは今でもその通りだと思っています」

人より遅れて始めたソムリエ人生、劣等感がつねにまとわりついていた

高校を卒業して美容師の職業に就いた成澤は、21歳でバーテンダーに転職して六本木で働いていた。大胆な業種変更のように感じるが、成澤本人は「接客が好きだったんでバーテンダーも美容師もそれほど変わらないと思いますよ」という。一方で「バーテンダーは個人商売のようだった」ともいう。

そんななか、店によく来ていただいていた近所のイタリアン・レストランの店長から店を手伝ってほしいと誘われたことがきっかけで、レストランでサービスをすることになった。バーテンダーにはない、チームプレイにも惹かれた。

「牛や豚を育てる人や、魚を釣る人、野菜を育てる人がいて、仲買さんがいて食材がレストランに届く。それを若いスタッフが下処理して、シェフが料理して、できた料理をサービスして、ソムリエがワインをサーブする。その一連のチームプレイのサービスによってお客様が笑顔になる。そこで得られる喜びというか、高揚感、アドレナリンの出方が段違いだったんです」

それからすぐに横浜にあった150席の大箱イタリアン・レストランに入った。25歳でレストランのサービスマンとしてキャリアをスタートさせた成澤は、入店してすぐにソムリエ試験の勉強をはじめた。月6回の公休だけでなく休憩時間も独学で勉強を続けた。わずか半年後のソムリエ試験にみごと合格して見せたのは、まわりに負けたくないという意地もあったという。

しかし、ソムリエの資格をとったからといって、すぐに周りからの評価が変わるわけではなかった。いざ営業に入れば、年下の先輩たちとの技術や経験の差は歴然。「劣等感の塊でした」と成澤は振り返る。

それでも、当時ユーザーが広がっていたインターネットのブログを始めてワイン会を企画して集客をするなど、持ち前の企画力と行動力で「客を呼べるサービスマン」になって自信をつけると、それが評価されて本店である銀座店に呼ばれた。そこで、さらに実力あるスタッフたちと凌ぎを削ることになると、そこでもまた劣等感を感じながら、それでも自分のできることを模索し実行することを続けていた。

成澤のInstagramのフォロワーは現在1万1000人。これは意識的に増やそうと努力したものだという。「フォロワー1万人を越えたら、どんな世界が見えるのか、どんなことができるのかに興味あったんです。ですからフォロワーを増やすための努力をしました。毎日帰ってから1時間、インスタをする時間を作ってやってましたよ」。その結果1年で目標の1万フォロワーに到達した(スタートは300人だった)。

銀座のイタリアン時代には、20歳からレストランで働いている同世代のサービスマンの引き出しの多さに驚かされたという。「こんなにすごい人たちと同じように働いていたら差は縮まらない。同じ空間で仕事をしていても、人の3倍、4倍も高い感度で吸収して、それを次に活かしていかないといけないと思うようになりました」と成澤。

30代のキャリア設定 必死に生き抜いて見えた40代の道

「ロドラントに入ったのは、20代に抱き続けてきた劣等感を拭い去りたいという思いもあったんです」と、成澤は当時の心境を打ち明ける。

しかし、人よりも凝縮した時間を必死に生きていると、成澤を悩ませていた劣等感は自然と消えていた。あれだけ気になっていた同世代の動向も気にならなくなり、むしろ厳しい環境を学び抜いたからこそ得られた広い視野で、40代へ続く道がくっきりと見えるようになった。

「ロオジエで衝撃を受けたあの時から、フレンチを選んで本当によかったと思っています」と成澤はいう。その後も、麻布十番「リベルテ・ア・ターブル・ド・タケダ」(ミシュランガイド 一つ星)で支配人 兼 シェフソムリエとして、国内外の様々なレストランと数多くのコラボレーションをするなど、楽な道ではなく、より厳しく高い場所を選び続けることで成長を続けてきた。

2018年、40歳になる年に成澤は、Restaurant TOYOのオープン時から統括支配人 兼エグゼクティブソムリエとして店を立ち上げると、今では世界的なコーヒーブランド「ネスプレッソ」のアンバサダーの就任や、系列店の「Solfège」プロデュースなど、レストランソムリエの仕事を超えた働き方を提示している。

「今までは独立して店を持つか、大きな会社に入って出世するしかない。しかも、どちらも飽和状態で、続けていくのはすごく難しい。ソムリエやサービスマンが目指すゴールが少なすぎるんです。コロナ禍もあって夢を諦めたり、飲食業を辞めてしまう人たちもいる。ここまで厳しい環境の中で知識や技術を磨いてきたのに、それでいいわけないと自分は思うんです。自分はソムリエやサービスの技術や知識、経験を信じたい。自分たちは、レストラン以外にも活躍できることを実証したいんです」

たとえばサービスマンは、営業職にむいていると成澤はいう。それは、そもそも料理やワインを勧める接客業は、営業的な側面も強いからだ。さらにレストランを1つの会社と考えれば、店の売り上げ管理やマネジメントをしてきたサービスマンは、起業にも向いている。食のインフルエンサーやメディアとのつながりを活かせば、広報やPRの仕事もでき、イベントを企画・運営したことがあれば、プランナーの仕事もできる。

そういった技術や知識、経験の本質を抽出して、現代の社会のなかで最大化させていく能力こそ、ソムリエやサービスマンにとってのNouvelle Artisan、新しい職人像なのだ。

成澤がプロデュースした自由が丘のレストラン「Solfège」は、「リベルテ・ア・ターブル・ド・タケダ」で同僚でスーシェフだった滝本亘が料理を監修するなど、コロナ禍で飲食業界が苦しむなかで、ひと際明るい話題だった。

社内ベンチャーを考えないソムリエはダサいと見られる時代がくる

成澤は、2021年8月にワインをテーマにした会社「ENIW(エニウ)」を起業した。レストランスタッフの人材育成や飲食店経営企画・コンサル、セミナー開催運営、酒類および食品の販売・輸出入を業務内容にした会社だ。オンラインのワイン販売を展開する一方で、5月には、目黒駅近くにオープンするTOYO JAPANの新店で、成澤自身も店舗立ち上げからドリンク監修に入る「焼肉 きゅうこん」内にワインショップをオープンすることも決まっている。

「店舗のワイン監修やプロデュースは、これまでなら一部の著名な人しかできませんでした。ですが今は、環境や時流が変わり、SNSやウェブマーケティングの知識を活用すれば誰にでも可能性がある時代なんです。そこでは、有名や無名は関係ない、創造性の勝負です。さきほどもいったようにサービスマンは、事業を創造していく力がある。でも多くのサービスマンは『考えたこともない』とか『やり方がわからない』というんです。自分は、それを変えていきたいんです」

「自分の姿をみてもらいたいし、なりたいと思ってほしい」と成澤が新しい挑戦を続けることが、業界の活性化に繋がると強い決意をもって進んでいるのだ。

「自分たちの世代では、『サービスマンはモード(現代的)であれ』と教わりました。毎朝新聞をよめ、流行のファッションをチェックしろと。それは、変わらないサービスの仕事の本質。つまり、そもそも流行に敏感でないといけないんです。政治や経済の話ができるように、AIやフードテックといった分野の話もできる。新聞を読むように、SNSから新しい情報や発想を得たり、そういったことを本来サービスマンはすべきなのです」

TOYO JAPANは、もともとは、代表取締役社長の阿部洋介が立ち上げたベンチャー起業だ。そのため会社には、ベンチャーマインドが文化として根付いている。「そんな会社だから、そんな働き方が容認されるんだ。個人店では無理」という見方もできるかもしれない。しかし、本来はレストランそのものがベンチャーなはずだ。TOYOのパリ本店を開いた中山豊光氏もベンチャー精神の塊で、事実、日比谷にRestaurant TOYOを作っている。

「そのうち、あーだこーだとできない理由を言っているのがダサく見られる世界がやってきますよ。社内でベンチャーを考えないサービスマンはダサい、”できないサービスマン”と烙印をおされる時代がすぐそこまできている。TOYO JAPANのような会社が当たり前になるんです」

現在Restaurant TOYOのマネージャーである神南純平やソムリエの徳重雄大に対して、成澤は、「自分が歩いてきたステップアップの“ステップ”をTOYOできちんと踏んでもらいたいという。シェフとのリレーション、イベントの企画立案、お客様とのコミュニケーションなどサービスマンの本質を身に着けてほしい」という。

「その人がもっとも得意なことをするのがTOYOの社風だ」と成澤。その本質は「プロの仕事に帰結する」ということ。たとえ個人としてレストランの外でやっていることだとしても、結果的にTOYOのためになって戻ってくる。それが再び個人のためになり、循環していく。
TOYO JAPANの新業態「焼肉 きゅうこん」では、熊本県の食材からインスパイアされたさまざまなドリンクを開発。併設するワインショップのディレクションも務めた。

成澤亨太|Kota Narusawa

東京都出身。東京都内にて数店舗でのソムリエを経て、2011年に銀座「 l’Odorante」で支配人・ソムリエとして今帰仁 実シェフに従事。フランス料理の哲学、サーヴィスマンとしての根幹と礼節、人と人との大切さを学ぶ。2014年には、麻布十番「Liberté a table de TAKEDA」(ミシュランガイド一つ星)の支配人・シェフソムリエに就任。同店が海外展開をするため閉店すると、2018年にオープンするフランス・パリRestaurant TOYOの日本店となる東京ミッドタウン日比谷の「Restaurant TOYO」の統括支配人兼エグゼクティブソムリエに就任した。2020年には現職の傍ら、自身がプロデュースするRestaurant Solfègeを自由が丘にオープン。今までに経験した国内外の様々なレストランとのコラボレーションを基軸に、様々な飲食店やバーのドリンク監修、またTBSドラマ 「グランメゾン東京」のワイン選定等、レストラン業務の枠を越えた活動を行い、フレンチの枠に留まらないイノベーティブな料理に合わせて、世界中の飲料からのペアリングを提案している。

・成澤が手掛けたレストラン
「Solfége(ソルフェージュ)」https://solfege.tokyo/
「焼肉 きゅうこん」https://kyukon.tokyo/