シリーズ「Nouvelle Artisan」⑤
トヨイスムとはお客様に寄り添い続けること
中山豊光
(Restaurant TOYO オーナーシェフ)
フランス語で「職人」を意味する「artisan」と、芸術家を意味する「artiste」とよばれる存在は、1793年と1806年の法律で身分が定義されて以来、フランスでは分けて考えられるようになった。しかし、中世で両者は「arts(技術)」をもつ技術者として同様に扱われており、階級社会が崩れた現代では、職人のなかにも芸術性が存在することが主張されるようになった。
本来「技術者」を意味するArtisanの姿は、時代に合わせて変っていくとしたら、現代はどんな姿なのか。Restaurant TOYO(以下、TOYO)で活躍するアルチザンたちの話から、新しい職人(Nouvelle Artisan)の姿を浮かび上がらせようとするシリーズの第5回は、Restaurant TOYO Tokyoの本店にあたるパリ「Restaurant TOYO」 のオーナーシェフ中山豊光に話を聞いた。
「自分の料理を食べてもらいたい」という思いはない
2022年8月、Restaurant TOYOの本店オーナーシェフ、中山豊光が帰国し、11日(木)から14日(日)まで、日比谷のRestaurant TOYO Tokyoのカウンターに立った。2021年4月以来のことだ。
パリ6区、ピカソやシャガールなどの芸術家たちが集ったモンパルナスにほど近い地にRestaurant TOYOはある。オープンは2009年、1971年生まれの中山が38歳の時だ。
カウンターを中心にテーブル席を含めて34席。席には、東京店が引き継いだように、箸が置かれている。フランスのレストランガイドでは「日本料理」と記載されることもあるのは、調理を最低限に留め「素材ありき」とつねに言い切る中山の料理を知ると理解できる。
5年前、まだRestaurant TOYO Tokyoを開く以前の中山に話を聞いたことがある。そのときに「僕が好きな料理人をみると、フレンチでもイタリアンでも、日本料理でも、どれもいっしょに見えるんです」と話していたのが印象に残っている。
世界中の文化や食材の交流が進むなか、日本料理だけが醤油や柚子を使うわけでもなく、イタリア料理だけがトマトやオリーブオイルを使うわけでもない。食材のクオリティーがあがり、流通が飛躍的に進歩するなか「良い食材」から始まる料理を展開していけばいくほど、同じような料理になっていくということを話してくれた。
Restaurant TOYO Tokyoが、フレンチとも和食とも断言しにくい独自のスタイルをしているのも、このような中山の感性によるところが大きい。
パリにRestaurant TOYO を開く前、中山は、世界的なファッションデザイナーだった故・髙田賢三氏の専属料理人を務めていたことはよく知られている。5年ほど髙田氏の自宅で政治家や財界人、アーティストといった世界中のVIPをもてなしてきた。「料理人というよりお手伝いさんに近かったですね」と中山は振り返るが、そこで「ゲストの顔を見て作る料理」の大切さを感じたという。
というのも、世界を股にかけるゲストをもてなすには、たとえば旅の途中なのか、始まりなのか、翌日の予定は早いのかなどによって、その日の料理の内容や皿数、ペースを変えていくようなことが、じつは大切なことであることに気付かされたというのだ。
「自分の料理を食べてもらう」のではなく「こんな料理も良いと思うんですがどうでしょうか?」という気持ちで料理を出すようになったのも、髙田氏の専属料理人を務めた経験が大きいという。
コロナ禍のパリで感じたライフワークバランス
パリで新型コロナウイルスのパンデミックを経験した中山。コロナ禍では、完全に店を閉め、他のパリのレストランがしたようなテイクアウトもしなかった。休業中は、家の掃除をしたり、家族と食べるための料理をしたり。ギターの練習や筋トレなどもした。とちゅう1カ月ほど店を開けることが許された期間もあったが、Restaurant TOYOは、1年半以上休業し続けた。
「料理人になって1年半もの長い間、レストランで料理をしなかったのは初めてのことでした。その間に、腕が鈍ったと思うことはなかったですが、ロックダウンになったときに、TOYOのスタッフが、日本やポーランドなど、自分の国に帰って僕だけになったんです。そのため店を再開するにあたって、一人で再スタートをするのが大変でしたね」
それまで、スタッフたちが行っていた仕込みももちろん自分ですべてやらなければいけない。自分の料理なのに「あれ、ここはどうしてたっけ?」と思い返すこともしばしば。再開後の営業はマダムと2人ということもあり、営業時間を長くして、来店を散らばらせるなどの工夫をして営業している。
一方で、自分ですべての料理を作れることで、その日の食材に合わせて毎日でも料理が変えることができるようになった。そこには、今までの大人数で作るチームワークの料理とは違った楽しさがあるという。
人生設計をリセットするようなコロナ禍も、悪いことだったとは思っていないと中山。たとえば、それまでになかったようなYoutuberの料理人も誕生した。それも新しい方向だと感じている。
Restaurant TOYOを閉めようと思ったことはなかったが、コロナ禍で雇っていたスタッフたちも辞め、一人でやっていくことになったことで「食べていければいいか」と、楽観的になり、それまで「働く」しかなかった料理人としての仕事に「休む」という選択肢ができたのは、コロナ禍における変化だった。
じっさい中山は、2022年3月には、Restaurant TOYOを1週間ほど休み、家族で北欧を旅した。
「北欧の料理を食べ歩くのではなく、街並みや文化を見てきました。とくに、ストックフォルムは、街全体が公園になっていて、そこで人々が暮らしている。家具を見てもスリムでシンプルな印象があるように、無駄がないという印象で、目から鱗の思いでした。北欧にいってみて、ほかの国にもいってみたいと思うようになりました。今は、ユーゴスラビアやクロアチア、イスラエルに行ってみたいですね」
仕事の仕方が変わったことで、料理人としてこれからの時間を考えることもできた。
「パリのレストランを見ていると、完全にオーナーシェフだけのレストランは少なくて、スポンサーが背後についていることが多くなりました。その方が、余裕をもって仕事ができていいという考え方の人が多いと思います。僕らの時代は、オーナーシェフで具合が悪くなるまで働くという風潮が強かったですから。僕自身も、まだできていないですが、スポンサー探しをやっていきたいと思っています」
好みがはっきりしているフランスでは職人は尊敬されている
「フランスでは職人はArtisan(アルティザン)と呼ばれてとても尊敬されています。パン屋の職人さんが、人間国宝になっていますから。日本では考えられないですよね。金銭的にも手厚く扱われます。職人たちも、頑張って続ければ人間国宝になれるんです。フランスのすばらしいところだと思います」
「フランスには、流行がない」と中山。今年は、これが流行るというようなトレンド予測に左右されるよりも、消費者が好きになったら、ずっと買い続けるし、好きな店ならずっと通い続ける。世間がなんと言おうと、自分が良いと思うものは良いという文化がある。
「フランス人には、『なんとなく』がないんです。自分は、ここが好きなら好き。自分の意見を言うほうがいいという文化なので。だから勝手に『これは、世界一のワインなんだ!』って勧めてくるんです、何かの大会で優勝したり、賞を授賞したりしているわけではないのに(笑)。ただ、そういった『良い』という判断をするのが当たり前だから、スポンサードする人も多いと思います」
フランスで職人に対する厚い敬意があるのは、好きかどうかをはっきり示して職人がつくった商品を買い支え、スポンサードする人たちが多いのだろう。Nouvelle Artisan(新しい職人)では、職人側のアップデートも必要であるとともに、日本では消費者にも主体性をもった消費の良さを伝えていく必要があるのかもしれない。
「お客様に寄り添うこと」がTOYO-ismである
2022年2月にRestaurant TOYO Tokyoの2代目シェフに、丸山和孝が就任した。パリのRestaurant TOYO でともに働き、東京店のオープニングから店を支え続けたスーシェフ(副料理長)の新しいRestaurant TOYO に注目と期待が集まっている。
「マル(丸山)とは、たあいもない話を電話でよくしています。本当に特別なことはなくて、『別に元気している?』くらい。シェフになりたてのときはTOYOを守ろうと考えると思うんだけど、スキをみつけて、どんどん自分の料理をやってくれたらいいと思う。それと、『これがすごくおいしい!』というものができたら、1度の反応で判断をせず、テーブルに出し続けるのも必要。そうしたら、誰かが『おいしいね』と言ってくれるから。そうやって、自分の味のファンを作っていってくれたら、自分としてはうれしいですね」
じつはRestaurant TOYOは、パリや日本で活躍する料理人を輩出する登竜門的レストランでもある。ヨーロッパ中のフードジャーナリストが注目しているパリ11区の隠れ家レストラン「MAISON」の渥美創太氏や、東京・東麻布の「Restaurant L’aube」のシェフパティシエ、平瀬祥子氏、Restaurant TOYO Tokyoの初代シェフの大森雄哉氏も、パリのRestaurant TOYOで中山の元で働いた。
「TOYOで考えていたのは、良いチームワークを作れるかどうかでした。チームを作るにはコミュニケーションが大事。そしてスタッフを育てる意識も大事です。カウンター中心の店ということもあったからですが、お客様から『おいしいね』と行っていただいたら、『これ、彼がやったんですよ!』って、作ったスタッフをお客様の前に出すようにしていました」
それは、お客様に見られているということを、意識をすることだと中山。さらに、自分でも料理を考えるようにと、試作会もよくしていたという。
「その時は、出した内容では怒ることはしなかったですね。むしろ、考えて来ない人がいたら、そのことをすごく怒りました。スタッフが考えた料理を出して、仮にお客様にお叱りを受けたとしても、それを受けるのがシェフの役目。スタッフには、思い切りやってもらうことを意識していました」
最後に「TOYO-ISM」(トヨイスム)とは何か?を中山に聞いてみた。
「お客様に寄り添うことです。自分は、日本人のオーナーシェフなんてほとんどいなかった時代に、パリで店を開きました。スポンサーもいない。資金もない。どこも馬の骨かわらからない日本人の店ですよ。お客様のご希望でご飯ものを出すようになって、箸をおくようになった。でも最初は、お米が出るのをバカにされていました。だけど、自分はお客様に寄り添うしかなかった。Restaurant TOYO は、パリで生き抜くために、お客様に寄り添い続けてきた。それが、TOYOの精神だと思っています」
中山豊光|Toyomitsu Nakayama
1971年、熊本県菊池市(旧・菊池郡大津町)生まれ。地元の高校卒業後、大阪の料理専門学校に進む。 神戸のフランス料理店「ジャン・ムーラン」で修行を重ねる。 その後、‘94渡仏。フランスで料理人として働き「お前のスペシャリテは何か?」との問いをきっかけに、日本人として日本料理を勉強しようと決断。 1996パリの本格的な日本料理店「伊勢」で働き始め、厨房のトップを任される。「伊勢」の常連だった髙田賢三氏に手腕を認められ、 髙田賢三氏の専属料理人となる。 兼ねてから自分の店を出したいと考えていた中山豊光氏は、 2009年に「Restaurant TOYO」をパリにオープン。 店名はファーストネームから。 レストランの入り口には、髙田賢三氏自らが描いた中山シェフの肖像画が飾られている。 和食の影響を受けたフレンチをカウンタースタイルで提供。 お料理は新鮮な食材を使った上品な味付け。 一皿が少量で、品数多く楽しめるということから、女性やファッション業界の方にも人気。パリ内外のメディアにも取り上げられ、 予約が取りづらい名店として注目を集める。2018年3月に、「Restaurant TOYO Tokyo」がオープンした。